爪の垢を煎じて飲む

こだまのブログ

映画「世界から猫が消えたなら」を見てきた。

おはようございます。みーとです。

 

この日曜日、

東京に来て初めて映画館に映画を見に行きました。

 

一番驚いたのはもう「一般料金」だったことw

 

なんか年とったなーと、ちょっとつらくなりました。笑

 

さて

 

今回せっかくなので、自分が見た映画「世界から猫が消えたなら

の感想&批評をかきたいと思います。

 

 

まず、めっちゃ感動します。笑

自分小説も読んで、大学の時にフェリーの中で一人で猛烈に感動してた記憶があるのですが、それでもやっぱり見たくなるし、見たら超感動できるいい映画でした。

 

あと、得たことというか、そんな真面目なものではないけれど、考えさせられるものがあったのでネタバレにならない程度に2点だけ書こうかなと思います。

 

世界から猫が消えたなら

 

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まず、佐藤健演じる主人公は、脳腫瘍にかかり

余命宣告をうけます。絶望に浸りながら帰路についた主人公を待っていたのは、悪魔の自分(主人公)です。

 

そしてそんな悪魔ver.から衝撃の一言

 

「世界から何かひとつ”もの”を消せば、きみはあと1日生きられる」

 

そこから、1日1日、"もの"がこの世からなくなっていきます。

そして、この世からその"もの"がなくなると同時に、その"もの"を通してであった人や思い出もすべてなかったものになっていきます。

 

そして、ついに悪魔は、主人公が小さい時から大好きで家族の中心であった"猫を消す"ことを決めます。

 

そういった「ひと」以外のなにかを消し去ることで、それを媒介とした愛や、友情の大切さや、「生きる」上で大切にしてほしいことを表現してくれる映画でした。

 

ここまでは純粋な感想で、次が自分なりに感じたその映画からのメッセージです。

 

1.何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない

 

これって本当にそうだなと最近すごい思うんです。

 

仕事に時間かけて超頑張りながら、プライベートも充実させて、モノもいっぱい買えて、健康的な生活を送る。そんな人生ってなかなか送れなくて。どれも追求しようとすると、どこかが中途半端になってるし、そこに気付けない自分もいます。

 

あと、部長も同じこと言ってたなって思って。

 

時間は有限であることを心から認識できることが重要だと思います。

 

今は自分もまだまだここが甘くて。

自分の時間もそうだし、人に何か聞きに行く時間だって、確認してもらう時間だって、遊んでもらう時間だって、その人の限りある時間をもらってるっていうことなんですよね。

これは社会人になってから耳に何かができるぐらい言ってもらっているのでとても共感できました。

 

 2.「人」と「もの」の関係性

 

これは新たな気づきでした。

 

世の中に当たり前にあるものが消えると、それを通した思い出も出会いもすべて消えてしまうんです。

 

例えば、この世からサッカーボールが消えたなら、サッカーというスポーツは存在しなくなり、そこで出会った部員、マネージャー、監督との関係もすべてなかったものになってしまうんです。

 

今自分の立場で言えば、仮にパソコンがこの世からなくなったら、職場がなくなり、そこでの出会いや思い出もすべて消えるわけです。

 

もしかしたら、地元の銀行で働いてるかもしれないし、香川のうどん屋さんで働いてるかもしれないのでそこでの出会いがあると言えばあるのですが、そういった"もの"一つ一つがあみだくじに引く間線のように、思いがけもしなかった新たな出会いを作ってくれてるんだなと思いました。

 

だから、今目の前にいる人に感謝を伝えるこはもちろん大事なんですが、パソコンっていう"もの"にも感謝しなきゃいけないなって思ったんです。なんかはたからきくと気持ち悪いですが

 

たとえ無機質な"もの"だとしても、それがとてつもない価値を生み出していることに感謝しないとなと。

 

 

最後に

 

佐藤健目当てだったのか、宮崎あおい目当てだったのか、若い人が結構おおかった気がします。

 

あと、渋谷の映画館はめちゃくちゃ混んでるので、次は予約するか違うところいくかで対策考えないといけないです。

 

猫は可愛すぎるからこの世から消えて欲しくないですね。

 

本も泣けます

 

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

 

 

ではでは今日はこの辺で

 

おわり